普濟寺の歴史

徳川ゆかりの寺
大永3年(1523)の開基で、大雲伊俊禅師の開山です。禅師は始め、五宝和尚に従って上州に参り、長尾政景と師僧檀家の交わりを約束、当時羽附字町谷に一宇を建て龍洞山普濟寺と号しました。
同5年に伽藍を同村笹ヶ崎(つつじ団地)に移転しましたが、さらに天文年中、長尾但馬守景の帰依によって現在の地に再建したものであります。
そのうち、第五世中興の祖といわれる花翁和尚は、長尾為景の四男で徳川家康と竹馬の友であり、かつて家康公が今川氏の人質から脱するときに功労があったといいます。当時の住僧になった天正19年(1591)家康が秀吉の命をうけ奥州の豪族たちを攻略しての帰途、花翁はこれを古河町に奉送したとき、大窪郷(大久保)今の板倉町大髙島にきて駕を止め、親書の朱印を渡し、大窪郷の内五ヶ村100石を賜りました。
後世になりこの親書を折紙の朱印と称しました。
元禄8年(1695)第13世大雄禅師は、幕府の命によって大本山永平寺から常恒会免牘を得ました。



